いよいよ残り16日と、サービス終了が近付きつつある『Apex Legends Mobile』。筆者もこの連載を任されてから、5月2日は己の人生においてどんな日になるのだろうと不安に感じています。
そう、不安です。たとえば2061年7月29日に最接近するハレー彗星を筆者が見るとしたら、くたばっていなければ76歳になっています。筆者はその日が今から楽しみで仕方ありません。しかし2023年5月2日は正直不安で不安でどうしようもなく……いえ、だからといって塞ぎ込んでいるわけにもいきません。今日もガッツリと『エペモバ』やっていきますよ!
分身男・ミラージュの大活躍
ここ最近、筆者はミラージュを使ってプレイしています。
見た目からして軟派な感じのこの男。年齢は32歳ですって。「ミラージュのように有名で魅力的な男が、恋人探しに苦労することはないはず」とか何とか設定に書いてありますが、こういうのに限っていつまでも結婚できなかったりするんですよ? 彼女を作るのは得意でも、その彼女と長続きするのは苦手なタイプなんじゃないでしょうか。
そんなことはともかく、このミラージュの分身特技は『エペモバ』でも十二分の性能を発揮します。
コイツの「サイクアウト」や「パーティーライフ」は、一瞬の判別ではどれが本物か殆ど分かりません。おまけに『エペモバ』特有のTPSだと、視界が広く取れる分だけむしろ「迷い箸」してしまうことが多々あるんですよ。「これが本物か? いや、こっちか?」というように。
そんなわけだから、追い詰められてる場面で逃げをかますには分身は最適です。これで強いプレイヤーから逃れた経験は、一度や二度だけではありません。マジで助かってます!
このあたりの「見た目」について、PC/CS版と比較してみるのも面白いかもしれません。同じレジェンドの同じ特技でも、デバイスによって効果の大小や「得られる結果」が微妙に異なるはず。ミラージュのそれはまさに相手の目を紛らわすものですから、尚更そこに差が生じます。
『エペモバ』のサービスが存続さえすれば、そうした比較記事も書けるのですが……。
『エペモバ』の「記録」はどうやって保存する?
人類の歴史は「記録」が作ります。
たとえば、「邪馬台国がどこにあったのか?」という論争が未だに発生する理由は、“邪馬台国の位置情報を記録している史料が魏志倭人伝しかないため”です。他の誰かがもう少し正確な位置情報を記録していれば、「邪馬台国は絶対にここにあったんだ!」と断言できたかもしれません。
そして今から数百年後、その時代の人々が2020年代の文化や風俗を研究する際、「この時代には『Apex Legends』というゲームが人気で、モバイル版もリリースされていた」と論文に書くはずです。しかし「『Apex Legends』のPC/CS版とモバイル版、具体的なゲーム性の差異はどこにあったのか?」ということを調べることは極めて難しいと思います。なぜなら2020年代のゲームは基本的に「モノ」ではなく、極めて脆弱なデータだからです。
それを後世の人々が再現するとしても、「ミラージュの“サイクアウト”は、PS版とモバイル版で見え方にどのような違いがあったのか?」なんて情報は、どこかにデータが残ってない限り完全には分かりっこありません。「サ終」という言葉を聞く度、筆者は「一期一会」の重みを実感せざるを得ません。
正確に記録できない「肌感覚」
ミラージュの分身で敵プレイヤーを惑わすことに成功した瞬間は、本当に快感です。
何しろ、向こうはまるでアサッテの方向に銃を撃ってるわけですから。敵の動揺をほくそ笑みながら見守りつつ、ゆっくりエイムを構えて発射ボタンを……というサディスティックな快感を味わうことができます。で、それを視界の広いTPSでやると尚更気持ちいいわけですよ!
日常では体験できないそのような感覚を味わえる、というのがゲームの醍醐味でもあるはず。それは人間の肌に訴えかけるもので、実はこれほどアナログチックな行いもないと思います。どんなに優れた記述家でも、「肌感覚」を100%正確に記録できるはずはありません。
今この時もスマホの電源を入れてアプリを立ち上げたら、そのような快感をいつでも味わうことができます。
しかし、2023年5月2日を過ぎれば……それは記憶の中でしか存在し得ない装飾品になってしまいます。今ここにあるものが、事前告知されているとはいえ境を過ぎたら完全に消滅してしまう。それをゲームライターとして、そしてゲーマーとして見届けなければならないことに筆者は小さくない不安を感じているわけです。
一期一会の重み
日本の季節は、日光が微笑む春を迎えました。
日本人にとって、4月は出会いと別れの時期。それまで毎日顔を合わせていたクラスメイトと別れ、直後に新しい学校へ行き新しいクラスメイトを作る季節です。多くの人は、この時に「一期一会」の重みを胸に刻みます。そして最終学歴校の卒業から20年を経た筆者は今、モバイル版のミラージュとの友情を石板に文字を刻むかの如く育んでいます。
最後の瞬間を迎える際に後悔しないように。